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Romantic?

It's Realistic.

愛は地球を救わない

前回の記事で、「愛をテーマに書きます」なんて、まるで博愛主義者のような宣言をしたにも関わらず、いきなりそれをひっくり返すようなタイトルをつけてしまったことを、まずお詫び申し上げます。私はそういう男なのです。何はともあれ今後も永らくお付き合い願いたいと思います。

 

さて。先日、日本テレビ系某チャリティー番組のメインパーソナリティが発表されたそうです。この「メインパーソナリティ」という存在が生まれた2003年以降、これを担当したのはジャニーズメンバーしかいないというのですから驚きます。いっそのこと「ジャニーオーソリティ」とでも名称変更した方がよいかもしれませんね。

話が少し脱線しかけましたが、この番組の題名をもじったのが、この記事のタイトルです(言うまでもありません)。「このブログの筆者はひねくれているな」と思ったあなた。それではあなたは、本当に愛が地球を救うと思いますか。

 

愛が引き金となって全く逆の方向に行ってしまうことは少なくありません。愛する家族を守るために他人と対立し、愛国心のぶつかり合いが戦争をも引き起こします。宗教紛争も、互いの信仰する教義への愛が根底にあります。

立場の対立だけではありません。某番組の核であるかもしれない障害者をとりまく環境についても同じことが言えそうです。

たとえば、こんなことを主張する人がいます。「社会がもっと障害者に優しくならなくてはならない。物理的な障壁だけではなく、心の障壁も取り除くべきだ」。言うなれば障害者への愛が足りない、というわけですね。これはある意味では正しく、ある意味では違っていると思っています。

車いす利用者のために段差をなくしたり、視覚障害者のために点字ブロックを張り巡らしたりすることは物理的障壁の軽減に繋がります。また、障害者を差別したり、故意に不要な不自由を生じさせたりするのはあってはならないことです。時には援助・補助も必要でしょう。その点では間違いありません。反論する余地がありません。

しかし、そのような愛が、地球を救うのでしょうか。上に書いたことは、全て当然のことではありませんか。「地球を救う」とは、「疲弊した地球市民の心を回復させる」「世界・地球単位での幸せをもたらす」という類いの意味であると理解していますが、人を愛するなどという極めて当たり前のことをするだけで達成されるほど、このことが簡単だとは到底思えないのです。単なる愛だけではなくて、もっと色々な要素が合わさって地球は救われるのだと思います。しかし、それが何であるかは私には分かりません。だからこそ、安易に「愛は地球を救う」などと言うべきではないと伝えたいのです。

 

とはいえ、私は「愛が地球を救えない」と思っているのではありません。「救えない」のではなくて、「救わない」のです。

既にこの世界には、愛があふれています。全ての人が"何か"を愛しています。しかし、愛の方向がそれぞれ異なります。

愛は、その愛に対立するものを嫌悪する感情に直結するものです。何かを愛するからこそ、何かを嫌悪するのです。だからこそ、争いが絶えません。それなら、みんなが同じ方向を向いて、同じものを愛せばいいじゃないか。確かに、その社会は何においても平和でしょう。しかし、それは不可能であるとともに、全く魅力的ではありません。価値観が生まれない世界です。人それぞれが違うものを好み、嫌うからこそ、この世界は成り立っているはずです。

 

愛は地球を救いません。救えるけれど、やはり救わないのです。